迷えるイカ記

プロフィールの倉庫に使ってますが、たまに私の為の好きな洋楽ムージックヴィデオ集という恐ろしい記事を書くかもしれませんので閲覧には注意してください。

私のふるさと

かつての北海道がそうだったように、九州の北部でも石炭が採掘され、日本の産業を支え、石炭産業により栄える地域がありました。 それは第二次世界大戦での敗戦があったものの、国際的な需要の為、次世代エネルギーである石油が台頭するまで続きました。 私が子供の頃に住んでいたアパートは、おそらく石炭産業で出来た集落にあったようで、とっくの昔に炭坑は閉山されていたのにも関わらず、採掘時に出る土石を積んだ「ぼた山」や、それらしきコンクリートの瓦礫が所々に残っていました。 ぼた山は子供の遊び場になっていたところもありましたが、大人たちはそれをあまり歓迎はしてはいないようでした。 母からは、アパートの近くの道路に昔は電車が走っていて、水害で流されてしまったと聞いたことがあり、 都会のように電車が走っていたら素敵だなぁと思ってはいました。廃線になったのは、もともと石炭などを運ぶ為に作られた線路で、廃坑後に寂れた土地の流された鉄道を復旧する力はなかったようです。その時は、こういう歴史があった事はしりませんでした。 地元にも電車が走っていましたが、子供の頃は汽車とみんな呼んでいたような気がします。 テレビが映し出す都会に走る山手線などの電車とは全く別物だと感じていました。 私が中学生の頃だったろうか、母が福岡の天神・博多に姉と私をショッピングに連れて行ってくれました。 地元にもそこそこ立派なショッピングセンターはありましたが、大都会博多は、地下鉄、地下街、高層ビル、数々のデパート。 地元には無いものばかりで、自動改札での地下鉄の乗り方などを教わりながら、みんなで興奮して遊んできた思い出があります。 我が家は元々裕福ではなかったのですが、私達姉妹が中学に上がる頃、父親に嫌がられ、嫌がらせもされながらも母も仕事をし そのお金で連れて行ってくれたのだと思います。私は、遠慮しながらも福岡で都会の何かを買ってもらった記憶があります。 母の家は割とお金のある家だったそうで、母自身も短大まで出ているので、子供にも経験と望む教育を受けさせたかったようです。裕福で無いと言っても、教育や文化的な物にはそれなりに投資してくれてたと今では思います。 そうした方針で、私と姉は親によって出来る限り世界を広げてもらいました。因果があるかはわかりませんが、姉妹二人とも県外で結婚して住居を構える事になったのです。 母は私が県外に行く事はとても寂しそうでしたが、かつて祖父母がそうだったように、何も言わずに送り出してくれました。現在私はあのとき「あそこに電車があったら素敵だなぁ」と思った時と同じ近さに、新宿まで続く鉄道の駅があるところに住んでいます。

写真はスクラップブックの見開き一ページ。夫は良く小旅行に連れていってくれるので、こうやってスクラップブックに残してます。

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これは、私のふるさとに夫と共に帰省した時に撮影したもの、右は地元のお祭りの龍踊、左は鬼が足でけった後に出来た穴だという伝説が残る所。夫のリクエストで案内しました。