迷えるイカ記

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律令国家と万葉びと(全集 日本の歴史 3)

元号「令和」が発表されました。政府の発表によると万葉集が由来だそうです。

これにちなんで、ある本を紹介しながら元号について書いて行こうと思います。

 

律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)

律令国家と万葉びと (全集 日本の歴史 3)

 

国家の成り立ちと万葉びとの生活誌 年号や暦の使用、戸籍の作成、『記紀』の成立、道や都の建設など、国の形ができてゆく中で、 人々も時間と文字という文明を獲得し、名前をもち、国家の一員となっていく。 国の始まりと画期の時代を生きる人々を描く。

対馬嶋、金を貢る。元を建てて大宝元年と為す。

史書続日本紀」によると文武天皇5年3月21日(ユリウス暦701年5月3日)に、対馬から金が産出し、これを祝って元号を「大宝元年」とするという元号制の制定と始まりが記されている。この時から、日本では元号が広く使われるようになり今に至ります。

元号の制定は大宝律令の一環として行われており、暦を始め、歴史を定め、日本と言う国の形づくりをすることにより、国の統治を進めます。

この時に参考したのが、唐の律令制というのは本書に記されています。新元号についても、発表では万葉集の由来とあるが、その万葉集の序文は漢籍(中国の書籍)からではとの指摘もあります。

「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」

調べてみたところ、万葉集には梅が多く出てきますが、当時は花見と言えば梅だったそうで、新元号の出典となった一文にも、大伴旅人歌人:子、大伴家持は『万葉集』の編纂に関わる歌人)が?梅をみて宴をしている様子が描かれています。梅は中国から遣唐使によってもたらされたものとの記述もネットで見られますから、一級品である外国製品を有難がっていたのかなと言う感想を持ちました。当時、唐は東アジアの文化の中心で、科学技術も発達しており、暦を測る技術も日本は中国から導入していたのです。

飛鳥時代までは、朝鮮半島から文化、技術を摂取していたのが、朝鮮半島、大陸の政治情勢の変化に対応する為、律令を制定し、国交の中心を中国へ舵を大きく切ったと本書で重ねて述べられています。

この事から、万葉集が大陸の文化の影響を受けているのは、そう不思議がる事でもなく、当時の身分の高い人の間では漢籍から引用して物を作ったりするのが、優れた知識人という評価だったのかもしれません。

万葉集は日本に現存する最古の和歌集である事から、歌という芸術的な価値もそうですが、当時の人々がどういうものを愛し、どういう生活をしていたのかというのを知る貴重な歴史的資料でもあるのです。

そういった点から、こういう本を開きながら、新元号を見るのも面白いなぁと思いました。

 

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