迷えるイカ記

洋楽オルタナティヴロック、イラスト、そのたいろいろなものがたり

久しぶりに映画館へ行って「天気の子」を見てきた。

 

コロナ騒動で一番とまではいかなくても、がっくりしたのが、映画館。 うちの近くに映画館ができて、やっとあったかくなっていくぞう!と思ってたら、この様子です。

専属モデル? - 迷えるイカ記

映画「天気の子」を見てきました。(ネタバレを含みます)

「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、
怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。

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 近年の都心の様子はミラー張りのビルとか六本木ヒルズのように鈍い金属のような外装の高層ビルで覆われ、良くも悪くも都会のくすんだ空気に馴染んでいる。「天気の子」ではこのくすんだ空気のビル群をまるでロボット映画のようにグワングワンとスクリーンの中で繰り広げてすごかった。そして、そこに駆け抜けていく登場人物は、さほど昔とかわらないノスタルジックなアニメのキャラクターなので、そこにどこか座りの悪さを感じながら観ていた。

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それを表現するためのこの彩色なんだろうとかそんなことも考えながら。

ストーリーというか、「不思議な力」とか、そういうので連想するのは神話とかだけど、映画をみて古事記の、スサノオの八岐大蛇退治を思い出した人は多いと思う。

ネタバレになるけど、陽菜の不思議な力というのは「天気を変えること」で、祈れば本の少しだけ晴れを呼ぶことができる。

八岐大蛇の物語で出てくるクシナダヒメは

稲田の女神と解釈される。 さらに、櫛の字を宛てることからクシナダヒメは櫛を挿した巫女であると解釈し、ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある。

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 まさにオロチ退治の物語。

古事記ではスサノオがオロチを見事に退治してめでたしめでたしであるけれど、天気の子の結末は同じでは無い。

そもそも、昔の人は災害を、神が荒ぶったからとか、何か因果があるのかとか難しく考えていたけど、現代では、地震の原因も、台風の原因もおおまかに特定されているので、それを「なにか、この世と因果があるのか」と考える方が、おかしいと思うし、過去にそれを沈めようと祈祷などをしてたとしても、それは多分直接的な影響を及ぼすことはなかったと思う。

世界は突然不条理に襲われる。それはこの世の人の行いとは全く関係なしに。

そういう事を映画で言いたかったどうかはしらないけれど、最後のシーンを見る限り二人とも学校(学びの場)に戻ったと考えていいだろう。

学びというものは長い道のりを経て未来を変えることができる。地震の原因が分かったように。学びというのは未来への祝福であり、ギフトでもあると私は思う。

そういう風に捉えてもいいんじゃないかなと。

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透明水彩、ホワイトワトソン 用紙に)

 

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興行場法のもと、換気の数値が定められ、保健所の指導で加湿をされた映画館の空間は、少なくとも満員電車よりは感染リスクは低いのではないでしょうか。

ただ、感染リスクもそうですが、ご自身が発病はしていないけど保菌者という場合も現状の状況を見ているとありえると思いますので、人に感染させることも常にあるということを意識した行動をとることも大事だと思います。

このテキストはどこが安全、どこが安全でないかを記したものではないということを再度お断りしておきます。

 

ばいちゃ