迷えるイカ記

洋楽オルタナティヴロック、イラスト、そのたいろいろなものがたり

日本の辺境のハードボイルド鬼島津

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最近読んで面白かったツゲッターがあったので、言及してみる。
西暦1572年に九州の端っこ(おい)で起きた木崎原の戦いという合戦について。伊東軍(宮崎県)側、(有力説)3000人に対しわずか300人で、挑んだ島津軍(鹿児島県)が勝利し、しかも、島津軍300人の兵は、8割は損耗してしまった事から、捨身で挑んで勝利したという事に驚きのコメントが寄せられている。(そりゃすげえ)

島津といえばこの人。漫画ドリフターズ島津豊久透明水彩、ホワイトワトソンA4)を描いてみた

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実際は豊久より、この戦いの島津軍の将、島津義弘が特に有名で、この時代の猛将として鬼島津と呼ばれ、おそらくこういう戦いが、その名を冠したのだと思うけど、漫画ドリフターズの中の島津豊久島津義弘の甥)は、その時代の「島津」を具現化したような人物で、めっちゃかっこいいのだよね。この戦いでの島津軍は「釣り野伏」と言って、本隊を敗走したと見せかけて、隠れて待ち伏せして敵をボコるという戦法を取っていて、これは、兵数が少ない軍を大軍に勝利させるために使う戦法なので、かなり統率力のいる戦法なのです。

織田信長桶狭間の戦いで小軍で今川軍に勝利したのも、奇襲をかけて勝利したと伝えられてますから、小軍が大群に勝たせるためには機動力や統率力(あとは運)がものを言ったのだと思います。

で、島津豊久は史実としては何をしたかというと、関ヶ原の戦いで西軍として参陣していて、形勢が不利(というか敗走ムードになっていたと)になり島津軍が薩摩に敗走する中、殿(しんがり)の将を努めたと言われています。敗走の軍を無事に敗走させるために闘うのですから、かなり過酷な環境です。殿といっても、普通の殿じゃなくて、敵軍を正面突破しながら捨て肝(殿の兵の中から小部隊をその場に留まらせ、追ってくる敵軍に対し死ぬまで戦い、足止め)をして退いたわけです。豊久はこの時に戦死しますが、大将の義弘は薩摩まで無事に逃げ延びます。大将を薩摩まで届ける事が目的ですので、豊久は死んだとしても、目的的には勝ちになるわけですね。無茶苦茶な戦国時代に輪をかけたむちゃくちゃさで生き延びたという話。

島津軍300と伊東軍3000でぶつかった「木崎原の戦い」が和製『300』過ぎるって話…島津特攻・妙林尼の話も - Togetter

ブラタモリで、熊本城が対島津要塞に作られてるってやってたの好き。

2020/07/29 06:03

戦国時代(それ以降)もまだこの下に紹介する本が示すような鎌倉、室町時代から続く「部族社会」が強く残ってたので、部族度が強いほど、叩き潰すのも、支配も難しく実際、関ヶ原後に家康が対島津にてこずってるのは伺えるので、このような警戒が必要だったかと思います。

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この本は、この中世の「部族社会」や、経済、文化などについて対談しています(島津も出てくるよ!)が、対談が「日本の中世の歴史研究家」と、現代の世界の辺境の地(部族社会が色こく残っている地域)を専門にされてる方が、、日本の中世と世界の辺境の地って共通点多いよねと言う対談をしてるところが面白いです。現代の先進国の立憲民主主義の社会を私は好んでますが、どの社会よりも優れてる。。。とは私は思いませんし、どっちかというと、多様性人類の武器なので、折り合いをつけながらいくのが一番最良なのじゃないかと思ってますが、そういう視点で物事を見る手がかりになる楽しい本でした。

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ドリフターズ 平野 耕太(著) - 少年画報社 | 版元ドットコム

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(妖怪「首置いてげ〜」)

 

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ばいちゃ