迷えるイカ記

洋楽オルタナティヴロック、イラスト、そのたいろいろなものがたり

ワシーリ・グロスマンの「人生と運命」を広めたいかもしれない委員会(仮)

 ワシーリ・グロスマン「人生と運命」(1960年著)

これは、第二次世界大戦中、スターリングラード攻防戦を背景に、物理学者一家をめぐって展開する歴史小説。で、ロシア文学の傑作の一つと言われてるけど、日本ではそこまで知られていないので、ちょっと紹介してみようと思う。
概要はあまりにも内容が複雑すぎるので、紀伊国屋書店さんの方から引っ張ってきました。

www.kinokuniya.co.jp

第二次世界大戦で最大の激闘、スターリングラード攻防戦を舞台に、物理学者一家をめぐって展開する叙事詩歴史小説(全三部)。兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空人物、ヒトラースターリンアイヒマン独軍赤軍の将校などの実在人物が混ざりあい、ひとつの時代が圧倒的迫力で文学世界に再現される。戦争・収容所・密告―スターリン体制下、恐怖が社会生活を支配するとき、人間の自由や優しさや善良さとは何なのか。権力のメカニズムとそれに抗う人間のさまざまな運命を描き、ソ連時代に「最も危険」とされた本書は、後代への命がけの伝言である。

今では一般的になっている、「ナチとソ連全体主義体制の同一性」という観点を軸に、ファシズムに対抗する個人の善の脆さなどが描かれてる。とにかくあついぜ。(本の厚さも内容も)
まずは読む前の、ポイントを押さえてみようと思う。

  • 作者のグロスマン自身がスターリン政権下の従軍記者で、当初は体制側としてソビエト軍を称える記事を書き、あくまでも体制側として活躍していた事
  • 従軍記者としてスターリングラード攻防戦の記事を書き、ユダヤ絶滅収容所について世界で最初の報道を行った人物である事
  • 彼はユダヤ人で、彼のウクライナの母親がユダヤ人収容所で亡くなった事
  • 「人生と運命」を出版社に原稿を持ち込み出版を断られた後、密告によりグロスマンは家宅捜査を受け原稿類は没収された。
  • フルシチョフ(参考:スターリン批判政権下でフルシチョフに直接出版を嘆願したが、「あなたの本はすべての共産主義者に害をなす。」と再度拒否される。
  • グロスマンの死後、彼の遺言通りに、「人生と運命」は密かに海外に持ち込まれ海外で出版される事になる。(紆余曲折の後、完全版が出版されたのが1989年)

 まず、印象深いのが、この小説の一場面。

「わたしは自由なのです!わたしは絶滅収容所を建設しています。わたしは『いやだ』と言うことができるのです!神父様わたしは『いやだ』と言います!」

「さあ始まるぞ、道を踏み外し高慢ちきになった羊に対する司祭の説教が」

ドイツの捕虜収容所で捕虜のイコンニコフ囚人仲間から聖痴愚者と言われている元トルストイ主義者チェルネツォフメンシェヴィキ亡命者:参考プレハーノフガルディー(イタリア人の聖職者の前で交わす会話。自分が収容所のガス室の穴を掘っていると察し、収容所の中でも神の教えに従おうとするものの、それを冷ややかに見下す社会主義者

これは第2巻のイコンニコフが小さなメモに書いた文章につながっていきます。内容は「善とは何か」について問われたもので、キリスト教や仏教の善の観念についても触れられ、最後に「人間的なものが人間の中で殺されてないとすれば、もはや悪は勝利を収めることはない」と言う言葉で締めくくられている。

この考え自体が、おそらくこの小説の全体のテーマで、主人公のヴィクトル(物理学者、科学アカデミーの準会員)の元に、ユダヤ人収容所に収容された母親から送られた手紙にもこのような事が書かれている。

ファシズムとは個人(人間)という概念を拒否し、集合としてあつかう。ファシズムが存在する時人間は存在を止める。しかし自由と理性と善良さを持つ人間が勝利した時ファシズムは死ぬ。

(この母親からの手紙の章は「ラスト・レター」というタイトルで映画化されている。)

この「人生と運命」と言う小説でグロスマンが主張している「個人としての人間は常に ”ファシズム"との戦いに脅かされている」という訴えが私の中に深く刻み込まれました。2部から始まるスターリングラード攻防戦。この部分も戦記として大変読みごたえあります。とにかく傑作です。

ヨーロッパでは80年代末に出版されたこの本は、残念ながら日本では2012年になってやっと翻訳出版されました。80年代末の日本はバブル末期でグローバル経済でイケイケだった時期でもあります。

が、しかし今はどうでしょう。先日のフランス大統領選挙を見る限りは、世界はグローバル化が進んでいる一方で、グローバル化の恩恵を受けられない人達も多く存在しその中にはグローバル化に強く反対する勢力も多いという事。マクロン大統領は、規制緩和推進派で、中庸と言うより、ネオリベとも受け止められています。それに対抗したのが、極右政権のルペン氏だったわけです。棄権者も多く出、選挙結果に不満を持つ人たちによるデモも起こっています。ネオリベ(親ユーロ派)と排外主義(反移民派)は、単純な「自由」対「レイシズム」の戦いじゃない事は押さえておかなければなりません。移民に反対しているのは、差別主義者とは限らないし、規制緩和「自由」が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない事は、日本人は、非正規社員問題等を通して身をもって知っているはずです。「自由」が強い権力を作る事はあるのです。

大きなうねりの後には必ず大きな反動があるのじゃないかと世の中を見守っている人はいるでしょう。そこにグロスマンが残したこの本が、おくりこまれたのは、それは偶然にしても決して悪くないタイミングなのじゃないのでしょうか。

 

にゃ。