迷えるイカ記

洋楽オルタナティヴロック、イラスト、そのたいろいろなものがたり

他人が楽しそうにしている事が許せないひとたち

たまには人の為になるような事?も書いてみる。

今回書く内容は、ある匿名ダイアリーの記事の受け売りで、その記事を載せればいいんだろうけど、そうすると、過去に起こった問題を掘り起こす事になるので、やめておく。

「他人が楽しそうにしている事が許せないひとたち」っていうのが稀に存在して、そういう人がネット上でも、楽しそうにしている人に対して暴言を吐いていく事がある。

と言っても「お前(達)が楽しそうにしているのが不愉快だ」なーんて正直に書く人なんかいなくて、大抵はその人に対しての批判を書いて、いかにも言われた人が悪いかのように言って来るので厄介だ。 しかも、批判と言っても「お前の気に入らない部分」を羅列するだけ。そういう人は、通り魔みたいなものなので、そんな目に合うのは運が悪かっただけなんだけど、現実世界でもそうのように、ターゲットは弱そうな人や、ダメージが強そうな人を選んでいる。 相手は「どうしようもない」人なのだ。

その「どうしようもない」人に対処する方法はあるのか?
例えば、私がその「楽しそうにしている」ターゲットだとしても、私が楽しまなくなったとして、「どうしようもない」人が救われるわけでもないし、「どうしようもない」人の為に私がそうする義理もない。言いがかりなので、聞く必要もないんだけど、ターゲットに「自分にも問題があるんじゃないか?」と考えがちな人を選んでいる所もあるので、被害者の人が気に病み、活動を停止する事も多分あったのだと思う。例えそうなったとしても「どうしようもない」人は新たにターゲットを探す旅に出るだけだと思う。 多くの人は被害にあった人に「そんな人は相手にすることはない」という事を言ってくれるが、「気にすること」をやめるのもなかなか難しい事だよね。 そういう時は、もちろん言われた事に対して自分の思ったことは自由に表明してもいいし、坂本九が「上を向いて歩こう」とうたったように、光の方を向いているのが一番だと思っている。楽しそうにしている人の周りには、傷ついたら心配してくれる仲間がいるので、その人達の方を向き、相変わらず楽しそうにしていればいいんじゃないかな? 「好きな人が楽しいと私も楽しい」そんな考えの人は「他人が楽しそうにしている事が許せないひとたち」よりもいっぱいいるので、楽しさが広がっていくとおもうのよ。 もちろん無理だったらお休みしたりするのも一つの手だと思うけどね。

「相手の立場や痛みも考える人」と「ひたすら自分の主張をまっすぐに主張する人」 がぶつかった時に、後者が残りやすいっていう側面がある。

これは元の匿名ダイアリーの記事に書いてあった一文なんだけどまったくその通りなんだよな。

インターネットは、現実世界よりも、他の人の人間関係が可視化されるので、「他人が楽しそうにしている事が許せないひとたち」にとってはさほど優しい世界ではないという部分もある。週末のショッピングセンターで楽しそうな家族連れを見て、なんだか寂しさを感じる人ってのはいると思う。この感情は特別な物でもなく、私も似たような感情を持つこともある。

欧州で起きているテロなんかも、ライブ会場など「みんなが楽しそうにしている場所」がターゲットになっている事があり、割とどこにでもある問題なのかもしれない。

誰が何といおうとも暴力は絶対反対!!!!

 そして、批判は受け止めるべきなんてことを言う人がいるけど、少なくともブログのブコメの批判なんかは、読まなくてもいいレベルなので、ブログ主の好きにすればいいと思う。そもそも、ハラスメントの被害を訴えてる人に対しての、「それは指導なんじゃないか?」なーんて日大しぐさ的な意見なんて、聞く必要なんかゼロ。テロリストの要望を受け入れていたら、テロを起こす事は人を服従させるのには有効な手段だと言うことになってしまう。ただの一般人がテロリストの言い分を聞く必要はない。ブコメは文字数が限られてるので議論に向いてないし、同じ舞台に上がる気もない奴の意見なんか聞く必要もない。訴えたい事があるなら、相手が聞き入れやすい方法で訴えましょう。普通は、ただ言いたいことを書いてるだけなんだろうから、「”あなた”はそうですかそれはよござんすね」でおしまい。受け止めるべきなんていうやつがいたら「お前は平安貴族かよ!」とでも言っておけばいい。

という事でばいちゃ